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東京地方裁判所 昭和58年(ワ)10136号 判決

本訴事件原告・参加第一及び第二事件被参加人 不在者趙碧財産管理人山本忠義訴訟承継人 趙碧

右訴訟代理人弁護士 小川休衛

同 木村英一

同 塩谷睦夫

右小川休衛訴訟復代理人弁護士 今村敬二

右補助参加人 片倉物産株式会社

右代表者代表取締役 片桐正昭

右訴訟代理人弁護士 斎藤尚志

参加第一事件当事者参加人・参加第二事件被参加人 松本美夫

右訴訟代理人弁護士 渡邉靖一

同 二宮忠

同 小林雄三

同 堀本縣治

参加第二事件当事者参加人 趙國忠

右訴訟代理人弁護士 斎藤一好

同 山本孝

同 斉藤誠

同 蘇益民

右斉藤一好訴訟復代理人弁護士 大島久明

本訴事件被告・参加第一及び第二事件被参加人 田中春江

右訴訟代理人弁護士 森景剛

本訴事件被告・参加第一及び第二事件被参加人 亡國分トシ訴訟承継人 國分榮勝

右訴訟代理人弁護士 南木武輝

本訴事件被告・参加第一及び第二事件被参加人(脱退) 宗像明夫

右宗像明夫承継参加人 国分建設株式会社

右代表者代表取締役 國分栄

右訴訟代理人弁護士 南木武輝

本訴事件被告・参加第一及び第二事件被参加人 株式会社神長土木建設東京店

右代表者代表取締役 足立幹雄

右訴訟代理人弁護士 河鰭誠貴

同 関根孝道

本訴事件被告・参加第一及び第二事件被参加人 兼大慶物産株式会社引受参加人 成世根

右訴訟代理人弁護士 河合弘之

同 西村國彦

同 荘司昊

右河合弘之訴訟復代理人弁護士 青木秀茂

同 安田修

右西村國彦訴訟復代理人弁護士 井上智治

同 池永朝昭

同 栗宇一樹

本訴事件被告・参加第一及び第二事件被参加人 五伝木昭申

右訴訟代理人弁護士 高島謙一

本訴事件被告・参加第一及び第二事件被参加人(一部脱退) 有限会社光産業

右代表者代表取締役 小田愃務

本訴事件被告・参加第一及び第二事件被参加人 株式会社新起産業(旧商号・株式会社西北建設)

右代表者代表取締役 小田幸枝

右両名訴訟代理人弁護士 高木新二郎

同 大塚一夫

同 永井義人

同 下村文彦

右高木新二郎訴訟復代理人弁護士 太郎浦勇二

同 巻之内茂

本訴事件被告・参加第一及び第二事件被参加人 篠田克見

右訴訟代理人弁護士 石川利男

本訴事件被告・参加第一及び第二事件被参加人 高橋元玄

右高橋元玄引受参加人 有限会社産興

右代表者代表取締役 清水敏春

本訴事件被告・参加第一及び第二事件被参加人 三陽商事株式会社

右代表者代表取締役 番場有一

右訴訟代理人弁護士 石川利男

本訴事件被告・参加第一及び第二事件被参加人 小西安彦

右訴訟代理人弁護士 高島謙一

本訴事件被告・参加第一及び第二事件被参加人 朴龍治

右朴龍治引受参加人 鄭政男

右訴訟代理人弁護士 津田玄児

右朴龍治引受参加人 成秀子

本訴事件被告・参加第一及び第二事件被参加人 大慶物産株式会社

右代表者代表取締役 金澤英明

本訴事件被告・参加第一及び第二事件被参加人兼有限会社光産業(脱退部分)引受参加人 小田美貴子(旧姓・川島)

右訴訟代理人弁護士 高木新二郎

同 大塚一夫

同 永井義人

同 下村文彦

右高木新二郎訴訟復代理人弁護士 太郎浦勇二

同 巻之内茂

本訴事件被告・参加第一及び第二事件被参加人(脱退) 亡高橋次郎承継人高橋孝子

〈ほか三名〉

右四名引受参加人 杉浦ひろ子

同 杉浦康仁

右両名訴訟代理人弁護士 岩石安弘

本訴事件被告・参加第一及び第二事件被参加人 平山道男こと 平山倫生

右訴訟代理人弁護士 櫻井公望

同 櫻井千恵子

右平山倫生(一部)引受参加人 佐藤勝

本訴事件被告・参加第一及び第二事件被参加人 星野要

右訴訟代理人弁護士 高木定藏

同 新相英夫

主文

一  (本訴事件について)

1  原告の被告高橋元玄、同朴龍治及び同大慶物産株式会社に対する訴え並びに被告平山倫生に対する訴えのうち、別紙物件目録(二)の記載の建物を収去して、別紙物件目録(一)記載の土地中、同建物の敷地部分の明渡しを求める訴えを却下する。

2  被告田中春江、被告國分榮勝、承継参加人国分建設株式会社、被告株式会社神長土木建設東京店、被告兼大慶物産株式会社の引受参加人成世根、被告五伝木昭申、被告有限会社光産業(脱退した部分を除く。)、被告株式会社新起産業、被告篠田克見、高橋元玄の引受参加人有限会社産興、被告三陽商事株式会社、被告小西安彦、朴龍治の引受人鄭政男及び同成秀子、被告兼有限会社光産業の一部引受参加人小田美貴子、被告亡高橋次郎訴訟承継人らの引受参加人杉浦ひろ子及び同杉浦康仁、被告平山倫生、平山倫生の一部引受参加人佐藤勝並びに被告星野要は原告に対し、それぞれ別紙物件目録(二)記載のないしの各符号に対応する建物を収去して、別紙物件目録(一)記載の土地(各建物の敷地部分)を明渡せ。

二  (参加第一事件について)

1  当事者参加人松本美夫の被告高橋元玄、同朴龍治及び同大慶物産株式会社に対する訴え並びに被告平山倫生に対する訴えのうち、別紙物件目録(二)の記載の建物を収去して、別紙物件目録(一)記載の土地中、同建物の敷地部分の明渡しを求める訴えを却下する。

2  当事者参加人松本美夫のその余の請求をいずれも棄却する。

三  (参加第二事件について)

当事者参加人趙國忠の本件参加申立てを却下する。

四  (訴訟費用について)

参加第一事件について生じた費用は、当事者参加人松本美夫の負担とし、参加第二事件について生じた費用は弁護士斎藤一好、同山本孝、同斎藤誠及び同蘇益民の負担とし、補助参加によって生じた費用は補助参加人の負担とし、その余の費用は、本訴事件の被告ら、承継参加人及び引受参加人らの負担とする。

事実

(略称)当事者の呼称については、受継後の本訴原告・参加第一及び第二事件被参加人趙碧を「原告」といい、参加第一事件当事者参加人・参加第二事件被参加人松本美夫を「参加人松本」と、参加第二事件当事者参加人趙國忠を「参加人趙國忠」といい、本訴被告・参加第一及び第二事件被参加人を「被告」とし、「被告田中春江」のようにいう。

物件の表示については、別紙物件目録(一)記載の土地を「本件土地」と、別紙物件目録(二)記載の建物を「本件建物」といい、また個別的には、同目録記載のないしの符号に対応して「本件建物」のように表わす。

第一当事者の求めた裁判

〔本訴事件〕

一  請求の趣旨

1 主文第一項の2同旨並びに「原告に対し、被告高橋元玄は本件建物を、同朴龍治は本件建物及びを、同大慶物産株式会社は本件建物を、同平山倫生は本件建物をそれぞれ収去して、本件土地のうち各建物の敷地部分を明渡せ。」

2 訴訟費用は被告らの負担とする。

3 第1項につき、仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁等

(被告大慶物産株式会社、引受参加人成秀子及び同佐藤勝)

被告大慶物産株式会社及び引受参加人佐藤勝は、適式の呼出しを受けたのに、本件口頭弁論期日に出頭せず、また引受参加人成秀子は、公示送達による呼出しを受けたのに、本件口頭弁論期日に出頭しない。(なお、参加第一及び第二事件に対する関係でも同様である。)

(右被告及び引受参加人を除く全員)

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

〔参加第一事件〕

一  参加請求の趣旨

1 原告は、本件土地が参加人松本の所有であることを確認する。

2 主文第一項の2及び本訴事件の請求の趣旨第1項記載の被告ら、承継参加人及び引受参加人らは、参加人松本に対し、それぞれ同記載の本件各建物を収去して、本件土地のうち各建物の敷地部分を明渡せ。

3 訴訟費用は、原告、被告ら、承継参加人及び引受参加人らの負担とする。

4 第2項につき仮執行の宣言

二  参加請求の趣旨に対する原告、被告ら、承継参加人及び引受参加人らの答弁

1 参加人松本の請求を棄却する。

2 訴訟費用は参加人松本の負担とする。

[参加第二事件]

一  参加請求の趣旨

1 原告及び参加人松本は、本件土地が参加人趙國忠の所有であることを確認する。

2 主文第一項の2及び本訴事件の請求の趣旨第1項記載の被告ら、承継参加人及び引受加人らは、参加人趙國忠に対し、それぞれ同記載の本件各建物を収去して、本件土地のうち各建物の敷地部分を明渡せ。

3 訴訟費用は、原告、参加人松本、被告ら、承継参加人及び引受参加人らの負担とする。

4 第2項につき仮執行の宣言

二  原告の本案前の答弁

主文第三項同旨

三  参加請求の趣旨に関する原告、参加人松本、被告ら、承継参加人及び引受参加人らの答弁

1 参加人趙國忠の請求を棄却する。

2 訴訟費用は参加人趙國忠の負担とする。

第二当事者の主張

[本訴事件関係]

一  請求原因

1 原告は、本件土地を所有している。すなわち、

(一) 戦前わが国を去り、不在者財産管理人が選任される前の趙碧は本件土地を所有していた。

(二) 昭和四八年七月一九日、東京家庭裁判所は、弁護士山本忠義を趙碧の不在者財産管理人に選任し、同人が自己の名において本訴事件を提起した。その後、中華人民共和国北京市朝陽区団結湖北里二の一の一〇一号に住居を有する原告趙碧の申立てに基づき、同裁判所は、昭和五九年九月七日付けをもって、右選任処分を取り消す旨の審判をし、原告が不在者財産管理人山本忠義の訴訟上の地位を受継したのであるが、原告趙碧は、不在者趙碧と同一人物である(以下において、単に「趙碧」という場合は、おおむね(一)項の趙碧を指し、帰来した原告と区別する。)。

2 別紙物件目録(二)記載の符号ないしの各欄に記載した被告ら、承継参加人及び引受参加人らは、右符号に対応する本件各建物を所有して、本件土地中の各建物の敷地部分を占有している。ただし、本件建物は被告宗像明夫が所有してその敷地を占有していたところ、承継参加人国分建設株式会社が占有を承継し、また本件建物は被告有限会社光産業が、本件建物は被告高橋元玄が、本件建物及びは被告朴龍治が、本件建物は被告大慶物産株式会社が、本件建物は被告亡高橋次郎訴訟承継人高橋孝子他三名が、本件建物は被告平山倫生が、それぞれ所有して、その敷地を占有していたところ、同目録のこれらの符号に対応して記載されている引受参加人らが各建物の所有権の移転を受けてその敷地を占有している。

よって、原告は、土地所有権に基づき、以上の被告ら、承継参加人及び引受参加人らに対し、本件各建物を収去して各建物の敷地部分の明渡しを求める。

二  請求原因に対する認否等

(前記不出頭被告らを除く全員)

1 請求原因1の事実中、(一)は認めるが、(二)は争う。趙碧は、すでに死亡している。

2 同2の事実は認める。

(参加人趙國忠の主張)

不在者財産管理人の資格喪失による受継は許されない。仮に一般的に受継が許されるとしても、本件土地の所有者であった趙碧は、一九四七年(昭和二二年)三月一五日死亡しているから、原告は、右趙碧とは別人であり、両者が同一人物であるとの家庭裁判所の審判は、事実を誤認したものである。したがって、原告の申立てによる受継は許されない。

三  抗弁

1 被告田中春江

(一) 賃借権

(1) 本件土地の所有者である趙碧は、昭和三五年二月五日死亡した。

(2) 趙碧の実子である台湾の趙國章(後記のとおり、参加人松本が主張する趙國章とは別人である。そこで、台湾の趙國章を、以下、「趙國章(台湾)」という。)が、本件土地の所有権を相続した。

(3) 趙國章(台湾)は、本件土地の管理を宮永等に委任した。

(4) 被告田中春江(以下、「被告田中」という。)は、昭和四五年六月二〇日、宮永等から本件土地のうち、後に被告田中が占有するに至った部分を次の約定で賃借した。

期間 三〇年

目的 普通建物所有

賃料 月額六万三七〇〇円

権利金 七〇〇万円

(5) 被告田中は、右土地に本件建物を建築して、その敷地部分を占有している。

(二) 権利濫用

(1) 被告田中は、趙國章(台湾)が趙碧の唯一の相続人として、本件土地の所有者であり、宮永等がその正当な代理人であると信じて、右のとおり宮永等と賃貸借契約を締結し、以来本件建物を建築して居住し、平穏な社会生活を営んでいる。

(2) 地元の多数の者が趙國章(台湾)を本件土地の相続人と信じており、また地元の農民らが多年にわたり耕作を続けていたところ、被告田中は、昭和四六年一〇月六日ころ、耕作者栗山光生に対し、離作料として金二三〇万円を支払った。

(3) 他方、趙碧は、昭和九年から一〇年にかけて、本件土地を含む広大な土地を取得しながら、これを荒地のまま放置し、昭和一三年に北京に帰った後は、長年にわたり本件土地の管理を全く放任し、同人が生存していることさえ不明の状態であった。

(4) 以上の事情によれば、原告の請求は、権利の濫用であって、許されるべきではない。

2 被告國分榮勝

(1) 本件土地のもと所有者であった趙碧は、昭和三五年二月五日死亡した。

(2) 同人の実子の趙國章(台湾)が、本件土地の所有権を相続した。

(3) 宮永等は、昭和四四年一月三一日、趙國章(台湾)から本件土地を次の約定で賃借した。

期間 六〇年

目的 堅固建物所有

特約 第三者に譲渡、転貸できる。

(4) 訴訟承継前の被告亡國分トシは、昭和四五年五月一三日、宮永等から本件土地の一部である四四四・二五六平方メートルを次の約定で転借した。

期間 昭和四五年五月二五日から五五年間

目的 堅固建物所有

(5) 國分トシは、右土地に本件建物を建築して、その敷地部分を占有していたところ、同人は、昭和五五年二月一〇日死亡し、同人の実子である被告國分榮勝が相続した。

3 承継参加人国分建設株式会社

(1) 被告國分榮勝の抗弁(1)ないし(3)記載のとおり。

(2) 承継参加人国分建設株式会社(以下、「承継人国分建設」という。)は、昭和四五年五月一三日、宮永等から、同人が賃借した本件土地の一部である三〇八四・五二一平方メートルを次の約定で転借した。

期間 昭和四五年五月一三日から五五年間

目的 堅固建物所有

(3) 承継人国分建設は、右土地に本件建物を建設して、その敷地部分を占有している。

4 被告株式会社神長土木建設東京店

(一) 賃借権

(1) 趙碧は、昭和三五年二月五日死亡し、香港の趙國章(参加人松本が主張する趙國章であって、以下、「趙國章(香港)」という。)が本件土地を含む遺産を相続した。

(2) 趙國章(香港)は、昭和四四年八月一五日、訴外茫中里に対し、本件土地の一切の処分管理を委任した。

(3) 趙國章(香港)及び茫中里は、昭和四五年九月八日訴外浅野茂夫に対し、右の権限を復委任した。

(4) 被告株式会社神長土木建設東京店(以下、「被告神長土木」という。)は、昭和四六年八月一〇日右浅野茂夫から、本件土地のうち約九九〇平方メートルの借地権を金二一〇〇万円で買い受ける旨の契約を締結した。

(5) 被告神長土木は、右賃借した土地内に本件建物を建築してその敷地部分を占有し、これを社宅として利用している。

(二) 追認

(1) 仮に、趙國章(香港)に、借地権設定の権限がなかったとしても、被告神長土木は、不在者趙碧の財産管理人の職務権限を有していた鈴木弥之助から、右借地権設定契約を承認され、追認を受けた。

(2) 右追認は、土地の利用行為に関するものであり、処分行為ではないから、被告神長土木は原告に対し、賃借権の取得を主張し得る。

5 被告成世根

(1) 被告國分榮勝の抗弁(1)ないし(3)記載のとおり。

(2) 被告成世根(以下、「被告成」という。)は、昭和四七年一月三一日、宮永等から、同人が賃借中の本件土地の一部を転借し、本件建物を建築して、その敷地部分を占有している。

6 被告五伝木昭申

(1) 本件土地の所有者趙碧は、昭和三五年二月五日死亡し、趙國章(香港)が相続した。

(2) 趙國章(香港)は、昭和四四年一月二〇日、代理人茫中里を介して訴外呉明宝に対し、本件土地を次の約定で賃貸し、引渡した。

期間 三〇年

目的 建物所有

賃料 一平方メートルにつき一か月金三円を毎年末に支払う。

特約 賃借権を譲渡、転貸できる。

(3) 呉明宝は、昭和四四年八月一二日訴外吉村正雄に対し、右賃借権を譲渡し、同人は、昭和四五年二月一二日訴外武田敏男に対し、本件土地のうち一七〇〇平方メートルの賃借権を譲渡した。

(4) 被告五伝木昭申(以下、「被告五伝木」という。)は、昭和四七年一〇月五日武田敏男から、右土地のうち、本件建物の敷地部分の賃借権を譲り受け、本件建物を建築し、その敷地を占有している。

7 被告有限会社光産業

(一) 賃借権(その1)

(1) 鈴木弥之助は、昭和二〇年以前に趙碧から本件土地を含む財産管理の事務を委任されていたところ、家庭裁判所から、趙碧の不在者財産管理人に選任されて、本件土地を管理していた。

(2) 鈴木弥之助は、訴外石崎聖に対し、本件土地のうち、後に被告有限会社光産業(以下、「被告光産業」という。)、同株式会社新起産業(旧商号・株式会社西北建設、以下、「被告新起産業」という。)及び同小田(旧姓川島)美貴子(以下、「被告小田」という。)が占有する部分を、賃借権譲渡を承諾する特約付きで賃貸した。なお、鈴木弥之助は、右賃貸借をするにつき、家庭裁判所の許可を得ていないが、右賃貸行為は、公租公課の財源を賃料収入で取得するための利用行為であって、処分行為ではないから、家庭裁判所の許可を要しない職務権限内の行為である。

(3) 石崎聖は、昭和四八年二月二四日、右賃借権を、訴外株式会社西北産業(以下、「西北産業」という。)及び被告新起産業に譲渡した。

(4) 西北産業は、昭和四九年一〇月一七日、被告光産業に対し、本件土地の一部二八一・九九平方メートルの賃借権を譲渡した。

(5) 被告光産業は、右賃借地の一部に本件建物を建築してその敷地部分を占有している。

(6) 仮に、前記(2)の鈴木弥之助の賃貸が、不在者財産管理人の本来の権限を越える行為であったとしても、同人は、土地賃貸に先立ち、昭和四六年九月二九日、東京家庭裁判所から、本件土地の宅地転用許可申請手続をすることの許可を得ていた。このことから、被告光産業は、鈴木弥之助に賃貸権限があると信じており、信ずるについて正当な理由がある。

(二) 賃借権(その2)

(1) 仮に、鈴木弥之助ないし石崎聖に賃貸の権限がなかったとしても、趙碧は死亡し、本件土地は、その相続人趙國章(台湾)が取得したところ、同人は、昭和四四年一月三一日宮永等に対し、賃借権の譲渡を承諾する特約付きで、本件土地を賃貸した。

(2) 宮永等は、昭和四五年六月二二日訴外遠藤麒一に本件土地を賃貸し、同人は、これをさらに石崎聖に転貸した。

(3) その後の経過は、前項の(3)ないし(5)記載のとおりである。

8 被告新起産業

(一) 賃借権(その1)

(1) 被告光産業の抗弁(一)ないし(3)記載のとおり。

(2) 被告新起産業は、本件土地中の賃借した部分に、本件建物及びを建築して、その敷地部分を占有している。

(3) 仮に、鈴木弥之助の賃貸行為が、不在者財産管理人本来の権限を越える行為であったとしても、同人は、土地賃貸に先立ち、昭和四六年九月二九日、東京家庭裁判所から、本件土地の宅地転用許可申請手続をすることの許可を得ていた。このことから、被告新起産業は、鈴木弥之助に賃貸権限があると信じ、信ずるについて正当な理由がある。

(二) 賃借権(その2)

(1) 被告光産業の抗弁(二)の(1)、(2)及び抗弁(一)の(3)記載のとおり。

(2) 被告新起産業は、昭和五〇年八月一一日、本件土地中の同被告占有部分について、あらためて直接、宮永等との間で賃貸借契約を締結し、昭和四八年から昭和五〇年までの三年分の賃料合計四八万二四〇〇円(一平方メートル当たり月額一〇〇円)を支払った。

9 被告篠田克見

(1) 被告神長土木の抗弁(一)(1)ないし(4)記載のとおり。

(2) 被告神長土木が、趙國章(香港)の復代理人たる浅野茂夫から本件土地を賃借した契約には、賃借権の譲渡、転貸ができるとの特約が付されていたところ、被告篠田克見(以下、「被告篠田」という。)は、昭和四八年三月一五日ころ、被告神長土木から、右土地の一部の借地権を譲り受け、本件建物を建築して、その敷地部分を占有している。

10 被告高橋元玄及び引受参加人有限会社産興

(被告高橋元玄)

(1) 被告五伝木の抗弁(1)ないし(3)記載のとおり。

(2) 訴外霜田美智子は、昭和四八年一〇月ころ、武田敏夫から本件土地中の本件建物の敷地部分の賃借権を譲り受け、本件建物を建築した。

(3) 被告高橋元玄は、昭和四九年七月一五日、霜田美智子から代物弁済により、本件建物及びその敷地部分の賃借権を譲り受け、同月一九日所有権移転登記を経由した。

(引受参加人有限会社産興)

右のとおり、被告高橋元玄が本件建物の敷地部分の占有権原を有していたところ、引受参加人有限会社産興(以下、「引受人産興」という。)は、昭和五五年八月五日、被告高橋元玄から代物弁済により、本件建物及びその敷地部分の賃借権を譲り受けた。

11 被告三陽商事株式会社

(1) 被告神長土木の抗弁(一)(1)ないし(4)記載のとおり。

(2) 被告神長土木は、趙國章(香港)の復代理人たる浅野茂夫から本件土地を賃借するに際し、賃借権の譲渡、転貸ができるとの特約を付していたところ、被告三陽商事株式会社(以下、「被告三陽商事」という。)は、昭和四八年四月一五日ころ被告神長土木から、右土地の一部の借地権を譲り受け、本件建物を建築してその敷地部分を占有している。

12 被告小西安彦

(1) 被告五伝木の抗弁(1)ないし(3)記載のとおり。

(2) 被告小西安彦(以下、「被告小西」という。)は、昭和四八年一二月末ころ武田敏夫から、本件建物の所有権を譲り受け、同時に敷地たる同被告占有部分を転借した。

13 被告朴龍治並びに引受参加人鄭政男及び同成秀子

(被告朴龍治及び引受参加人成秀子)

(1) 被告田中の抗弁(一)の(1)ないし(3)記載のとおり。

(2) 被告朴龍治(以下、「被告朴」という。)は、昭和四八年九月ころ宮永等から、本件建物及びの敷地部分の賃借権を譲り受けた。

(引受参加人鄭政男)

(一) 賃借権

(1) 本件土地の所有者趙碧の相続人趙國章(台湾)は、昭和四六年七月二五日、宮永等に対し、本件土地等を次の約定で賃貸した。

期間 昭和四四年一月三一日から六〇年間

目的 堅固建物所有

賃料 月額五〇万円

特約 賃借権の譲渡、転貸ができる。

(2) 昭和五一年七月当時、本件土地には、被告朴所有にかかる本件建物及びが存在していたところ、訴外鄭三道は、同年七月五日ころ、被告朴から本件建物及びを譲り受けるとともに、そのころ宮永等から、次の約定でその敷地の賃借権の譲渡を受けた。

期間 昭和四四年一月三一日から六〇年のうちの残存期間

賃料 一年につき、一平方メートル当たり一五〇円、合計七万三五〇〇円

(3) 鄭三道は、本件建物及びの登記については、同人の妻である引受参加人成秀子(以下、「引受人成秀子」という。)及び両人の子である引受参加人鄭政男(以下、「引受参加人鄭」という。)の名義で所有権移転登記を経由した。

(4) したがって、引受人鄭は、本件建物及びの敷地部分について、父鄭三道の有する賃借権に基づいて、右土地を占有しているものである。

(二) 賃借権の時効取得

(1) 宮永等は、昭和四四年一月三一日、前記のとおり賃貸借契約に基づき本件土地の占有を始めた。

(2) 鄭三道は、宮永等から、右土地のうち本件建物及びの敷地部分の賃借権を譲り受けて、占有を承継し、一〇年後の昭和五四年一月三一日当時も右土地部分を占有していた。

(3) 宮永等は、趙國章(台湾)が台湾の国家機関が作成した証明書を所持していたことから、同人が本件土地につき正当な権利者であることを過失なく信じて、賃貸借契約を締結し、占有を始めたものである。

(4) そこで、引受人鄭は、右賃借権の時効取得を援用する。

14 被告小田美貴子

(本件建物及びその敷地について)

(一) 賃借権(その1)

(1) 被告光産業の抗弁(一)(1)ないし(3)記載のとおり。

(2) 西北産業は、昭和四八年七月一〇日、被告兼引受参加人小田美貴子(旧姓川島、以下、「被告小田」という。)に対し、本件土地の一部三〇三・八〇平方メートルについての賃借権を譲渡した。

(3) 被告小田は、右土地に本件建物を建築し、その敷地部分を占有している。

(二) 賃借権(その2)

(1) 被告光産業の抗弁(二)の(1)、(2)及び同抗弁(一)の(3)記載のとおり。

(2) その後の経過は、前項(2)、(3)記載のとおりである。

(本件建物①及びその敷地について)

(一) 賃借権(その1)

(1) 被告光産業の抗弁(一)の(1)ないし(4)記載のとおり。

(2) 被告光産業は、賃借権譲渡を受けた土地二八一・九九平方メートルの一部に本件建物①を建築した。

(3) 被告小田は、昭和五一年一二月六日被告光産業から本件建物①の所有権及びその敷地賃借権を譲り受けた。

(二) 賃借権(その2)

(1) 被告光産業の抗弁(二)(1)ないし(3)記載のとおり。

(2) その後の経過は、前項の(2)、(3)記載のとおりである。

15 引受参加人杉浦ひろ子及び同杉浦康仁

(1) 脱退前の被告亡高橋次郎(以下、「亡高橋次郎」という。)は、昭和四五年五月、趙碧から本件土地の管理を委任されていた鈴木弥之助より、本件土地のうち、二五四・七平方メートルを賃借した。

なお、鈴木弥之助は、昭和四五年一二月、本件土地の管理を訴外福井商事株式会社に委託したので、亡高橋次郎は、そのころ同会社との間であらためて右土地部分を賃借する契約を締結した。

(2) 亡高橋次郎は、右土地に、本件建物を建築して、その敷地部分を占有していた。

(3) 引受参加人杉浦ひろ子及び同杉浦康仁(以下、「引受人杉浦ら」という。)は、昭和五四年七月二五日、平山某から、本件建物及びその敷地の借地権を合計一八〇〇万円で譲り受け、右敷地部分を占有している。

16 被告平山倫生及び引受参加人佐藤勝

(1) 被告國分榮勝の抗弁(1)ないし(3)記載のとおり。

(2) 被告平山倫生(以下、「被告平山」という。)は、昭和四八年二月二一日宮永等から、本件土地のうち、七五〇平方メートルを次の約定で転借した。

期間 昭和四八年二月二一日から五五年間

賃料 一平方メートル当たり年額一五〇円

(3) 被告平山は、右土地に本件建物ないしを建築し、現在本件建物ないしを所有して、その敷地部分を占有している。

17 被告星野要

(1) 趙碧は、昭和二〇年以前に、鈴木弥之助に対し、本件土地を含むその財産を管理する事務を委任した。

(2) 鈴木弥之助は、石崎聖に対し、右権限を再委任した。

(3) 被告星野要(以下、「被告星野」という。)は、昭和四八年八月二二日右石崎から、本件土地中の同被告占有部分を賃借し、右部分に本件建物を建築して、その敷地部分を占有している。

四  抗弁に対する原告の認否及び反論

1 被告らの抗弁事実は、いずれも否認する。

2 被告光産業、同新起産業及び同小田の各抗弁の各(一)(鈴木弥之助が設定したとする借地権取得の主張)に対する反論

鈴木弥之助は、家庭裁判所から選任された不在者財産管理人ではない。仮にそうであったとしても、同人の賃貸行為は、裁判所の許可を要する処分行為である。

五  引受人鄭の抗弁(二)(賃借権の時効取得の主張)に対する再抗弁

1 鄭三道の前占有者である宮永等は、昭和四四年一月三一日ころ本件土地の管理を委託されていたというのであるから、同人は、占有の開始に際し、自己に賃借権があると信ずるについて、悪意があるか、少なくとも過失があった。

2 仮に、宮永等が、占有を始めるに当たって、善意無過失であったとしても、原告は、昭和五〇年一二月には被告朴に対し訴えを提起したから、時効は中断している。

六  再抗弁に対する認否

再抗弁事実は否認する。

[参加第一事件関係]

一  請求原因

1 趙碧は、本件土地をもと所有していた。

2 趙碧は、昭和三五年二月五日死亡した。

3 趙國章(香港)は、趙碧の養子であり、唯一の相続人であって、本件土地の所有権を相続により取得した。

4 参加人松本は、昭和四五年一二月一六日、趙國章(香港)から代金五〇〇〇万円で本件土地を買い受け、契約時に金一〇〇〇万円を支払い、同年一二月二六日に残金四〇〇〇万円を支払った。

5 原告は、本件土地が参加人松本の所有に属することを争っている。

6 原告の本訴事件の請求原因2記載の被告ら、承継参加人及び引受参加人らは、同記載のとおり、本件各建物を所有して、本件土地のうち各建物の敷地部分を占有している。

よって、参加人松本は、原告に対し、本件土地が参加人松本の所有に属することの確認を求めるとともに、土地所有権に基づき、以上の被告ら、承継参加人及び引受参加人らに対し、本件各建物を収去して各建物の敷地部分の明渡しを求める。

二  請求原因に対する認否

(原告)

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2、3の事実は否認する。

3 同4の事実は不知。

4 同5の事実は認める。

(被告田中、被告國分榮勝、承継人国分建設、被告成、引受人鄭及び被告平山)

1 請求原因1、2の事実は認める。

2 同3の事実は否認する。趙碧の相続人は、実子の趙國章(台湾)である。

3 同4の事実は不知。

4 同5の事実は認める。

(被告光産業、被告新起産業及び被告小田)

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2ないし4の事実は不知。

3 同5の事実は認める。

(被告神長土木、被告五伝木、被告篠田、引受人産興、被告三陽商事及び被告小西)

1 請求原因1ないし3の事実は認める。

2 同4の事実は不知。

3 同5の事実は認める。

(引受人杉浦ら及び被告星野要)

請求原因1、5の事実は認める。

三  被告ら、承継参加人及び引受参加人らの抗弁

本訴事件における抗弁各主張のとおり。

四  抗弁に対する認否及び参加人松本の反論

1 抗弁事実は、いずれも否認する。

2 被告光産業、同新起産業及び同小田の各抗弁の各(一)(鈴木弥之助が設定したとする借地権取得の主張)に対する反論

(一) 建物所有を目的とする土地の賃貸借は、借地法により借地人が保護される結果、経済的には、土地の処分と同等の効果を生ずるから、土地の利用行為ではなく処分行為である。それ故、不在者財産管理人が不在者の財産確保のためとはいえ、その土地を賃貸するには、家庭裁判所の許可を要するものと解すべきところ、鈴木弥之助の石崎聖に対する本件土地の賃貸は、家庭裁判所の許可を得ていないから、無効である。

(二) 一般的な表見代理と異なり、不在者財産管理人の権限は、保存行為など管理行為に限定されている(民法第二八条、第一〇三条)ところ、被告光産業らは、鈴木弥之助が不在者財産管理人であることを知っていたのであるから、同人に本件土地の賃貸権限があると信ずるについて正当な理由はない。

[参加第二事件関係]

一  請求原因

1 趙碧は、本件土地をもと所有していた。

2 趙碧は、昭和二二年三月一五日死亡した。

3 参加人趙國忠は、趙碧の実子であり、唯一の相続人であって、本件土地の所有権を相続により取得した。

4 原告及び参加人松本は、本件土地が参加人趙國忠の所有に属することを争っている。

5 原告の請求原因2記載の被告ら、承継参加人及び引受参加人らは、同記載のとおり、本件各建物を所有して、本件土地のうち各建物の敷地部分を占有している。

よって、参加人趙國忠は、原告及び参加人松本に対し、本件土地が参加人趙國忠の所有に属することの確認を求めるとともに、土地所有権に基づき、以上の被告ら、承継参加人及び引受参加人らに対し、本件各建物を収去して各建物の敷地部分の明渡しを求める。

二  請求原因に対する認否

(原告)

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2、3の事実は否認する。

3 同4、5の事実は認める。

(参加人松本)

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2の事実は、趙碧が死亡したことは認めるが、その余は否認する。趙碧が死亡したのは昭和三五年二月五日である。

3 同3の事実は否認する。

4 同4、5の事実は認める。

(被告田中、被告國分榮勝、承継人国分建設、被告成、引受人鄭及び被告平山)

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2の事実は認めるが、趙碧が死亡したのは昭和三五年二月五日である。

3 同3の事実は否認する。趙碧の相続人は、実子の趙國章(台湾)である。

4 同5の事実は認める。

(被告光産業、被告新起産業及び被告小田)

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2、3の事実は不知。

3 同5の事実は認める。

(被告神長土木、被告五伝木、被告篠田、引受人産興、被告三陽商事及び被告小西)

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2の事実は認めるが、趙碧が死亡したのは昭和三五年二月五日である。

3 同3の事実は否認する。趙碧の相続人は、実子の趙國章(香港)である。

4 同5の事実は認める。

(引受人杉浦ら及び被告星野要)

請求原因1、5の事実は認める。

三  被告ら、承継参加人及び引受参加人らの抗弁

本訴事件における抗弁各主張のとおり。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実は、いずれも否認する。

第三証拠《省略》

理由

一  事実認定に用いた書証の成立について《省略》

二  当事者適格など

1  原告の受継について

(一)  本訴事件は、当初、不在者趙碧財産管理人山本忠義が自己の名において訴えを提起したものであるところ、東京家庭裁判所が昭和五九年九月七日、不在者趙碧と原告とが同一人であるとの判断に基づき、不在者財産管理人の選任処分を取り消す旨の審判を行ったため、従前の原告山本忠義は訴訟遂行の資格を喪失し、帰来した不在者趙碧であると称する原告が受継を申し立てたことは、当裁判所に顕著な事実である。

(二)  このように不在者財産管理人が資格を喪失した場合に、帰来した本人と称する者が訴訟手続を受継し得るとの明文の規定は存在しないが、受継制度が、当事者の権利能力や管理能力喪失の場合に、権利等の帰属主体に訴訟を受け継がせて、従前の訴訟手続を利用するものであることに鑑みると、破産手続解止の場合の規定(民事訴訟法第二一五条)を類推して、受継ができるものと解するのが相当である。してみると本件原告の受継申立ては適法というべきである。

2  参加人趙國忠の当事者参加の申立てについて

(一)  参加人趙國忠の本件当事者参加の申立ては、その代理人であるとする弁護士斎藤一好、同山本孝、同斉藤誠及び同蘇益民によって申し立てられたものであるところ、その授権に疑義があるとの原告の主張に鑑み、当裁判所は、昭和六〇年一〇月二五日付けをもって、右代理人らに対し、決定書送達日より一か月内に民事訴訟法第八〇条第二項に定める認証ある訴訟代理人委任状を提出すべきことを命じ、右決定書は同年一〇月二八日に同代理人らに送達されたことが記録上明らかである。

(二)ところで、昭和六一年二月二五日受理の昭和五八年九月二九日付け、趙國忠作成名義の訴訟委任状の裏面には、「桃園縣警察局中市戸政事務所関印」の捺印及び「印鑑經査核無訛」なるゴム印が押捺されていて、後者は、「調査した結果、印鑑に誤りはなかった。」との趣旨と解される。しかし、同戸政事務所に公証権限があるかどうかは不明であり、訴訟委任状の裏面に捺印だけしてあるもので、日付や代表者などの記載もない。したがって、これだけでは民事訴訟法第八〇条第二項所定の認証があったと認めるには十分でなく、他に同代理人らに授権がなされたことを認めるに足りる証明もない。

(三)  よって、参加人趙國忠の参加第二事件の申立ては不適法であるから、その余について判断するまでもなく、却下を免れない。

3  引受参加人らの訴訟承継について

(一)  原告及び参加人松本は、いずれも本件土地の所有権に基づき、被告光産業に対し本件建物①を、被告高橋元玄に対し本件建物を、被告朴に対し本件建物及びを、被告大慶物産に対し本件建物を、被告亡高橋次郎訴訟承継人高橋孝子外三名に対し本件建物を、被告平山に対し本件建物を、それぞれ収去して、その敷地部分の明渡しを求め、被告らが各建物を所有して、その敷地を占有していることは、各被告らも認めて、これを争っていなかった(ただし、被告大慶物産は、右事実を自白したものとみなす。)。しかるところ、訴訟の係属中、被告光産業は本件建物を被告小田に、被告高橋元玄は本件建物を引受人産興に、被告朴は本件建物及びを引受人鄭及び同成秀子に、被告大慶物産は本件建物を被告成に、被告亡高橋次郎訴訟承継人高橋孝子外三名は本件建物を引受人杉浦らに、被告平山は本件建物を引受人佐藤勝に、それぞれ譲渡し、その敷地の占有を移転したとし、原告及び参加人松本が民事訴訟法第七四条の規定に基づく訴訟引受の申立てをし、当裁判所は、右申立てを理由あるものと認め、昭和六一年六月二七日付けをもって、右引受人らに訴訟引受を命ずる旨の決定をした。

(二)  右決定後、引受人小田、同産興、同鄭、同杉浦らは、弁論の全趣旨によれば、右占有承継の事実を争っていないものと解され、引受人佐藤勝は、明らかに争わないものと認め、これを自白したものとみなす。また、引受人成秀子については、甲第二五号証の五、同号証の六の①及び弁論の全趣旨によれば、右占有承継の事実が認められる。そして、被告光産業は提起されている訴訟のうち本件建物に関する部分につき、また被告亡高橋次郎訴訟承継人高橋孝子外三名は訴訟の全部につき、原告及び参加人らの承諾を得て訴訟から脱退した。しかしながら、その余の被告らは脱退しないので、同被告らについては依然として訴訟係属が残っていることになるが、原告及び参加人松本が、もはや同被告らにおいて建物を所有してその敷地を占有していると主張していないことは、以上の経過からも明らかである。

(三)  そもそも、土地所有権に基づく建物収去土地明渡請求訴訟において、被告適格を有する者は、建物を所有して土地を占有していると主張されている者であるから、同被告らの被告適格は占有を承継した引受人らに移転し、同被告らはこれを失っているものと認めるのが相当である。してみると、原告の被告高橋元玄、同朴、同大慶物産に対する訴え及び被告平山に対する訴えのうち、本件建物を収去して、その敷地部分の明渡しを求める訴え並びに参加人松本の右被告らに対する同様の訴えは、いずれも現段階においては、被告適格を欠くものとして、却下すべきである。

4  承継人国分建設の承継参加について

(一)  原告及び参加人は、被告宗像明夫(以下「被告宗像」という。)が本件建物を所有してその敷地を占有していると主張して、右建物収去土地明渡しの請求をしていたところ、承継人国分建設は、右建物は譲渡担保の趣旨で被告宗像の所有名義としていたが、債務を弁済したので右建物の所有権と敷地の占有は承継人国分建設に復帰したとして、民事訴訟法第七三条の規定による承継参加の申立てをし、同時に、被告宗像は、原告及び参加人らの承諾を得て訴訟から脱退した。

(二)  民事訴訟法第七三条の規定による承継参加は、右のような債務承継の場合であっても、承継人の側から進んで訴訟手続に参加する場合に適用されるものと解されているが、債務の承継人としては、原告との間では従来の訴訟状態を承継して棄却の判決を得ればよく、被告との間では何らの紛争もない場合、権利承継のときと異り、従前の当事者双方に対する請求を構成しにくく、その必要性も乏しい。本件の承継参加の申立てには、一定の請求がなされてはいないが(ただし、昭和六一年(ワ)第一四二一一号の事件番号が付されている。)、承継後の参加人の立場は、実質上は同法第七四条による引受参加人の立場と同様のものであるということができるので、右申立てが不適法とまではいえないものと解するのが相当である。

三  本訴事件及び参加第一事件を通じて、本件土地の所有権の帰属について判断する。

1  戦前わが国を去り、不在者財産管理人が選任される前の趙碧が本件土地を所有していたとの事実(本訴事件の請求原因1(一))は、全当事者間に争いがない(なお、引受人成秀子及び同佐藤勝については、それぞれ被告朴及び同平山がこの事実を認めて争わなかったという訴訟状態を引き継いだものである。)。そして、《証拠省略》によると、本件土地は、昭和一〇年当時、北多摩郡狛江村小足立字前原八七六番二の畑九畝一五歩に同所八七六番三、同所八七七番ないし八八一番及び同所八九六番一の各土地が合筆され、後に八七六番三が分筆された土地から成るのであって、趙碧は、昭和一〇年六月二八日、合筆前の八九六番一の土地を訴外鈴木泰一から、その余の土地を訴外冨永佳一から、それぞれ買い受けたものであることが認められ、この認定に反する証拠はない。

2  そこで、原告が右のとおり本件土地を取得した趙碧と同一人であるか否かについて判断する。

(一)  まず、趙碧について判明している事情を検討するに、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(1) 趙碧の夫は、趙欣伯(以下、「欣伯」という。)という名の中国人であり、明治大学で法律学を修め、昭和六年(一九三一年)の満州事変後、旧満州国の奉天市長となり、一九三二年には旧満州国立法院長になった人物である。

(2) 欣伯は、昭和八年(一九三三年)七月二九日、旧満州国特命憲法制度調査使として、中国人の妻趙碧及び子の趙宗陽(以下、「宗陽」という。)を伴って、日本に来訪した。

(3) 趙碧は、旧姓を耿と称し、昭和一〇年ころ会った人の印象では、やせ型の中国服が似合う美人で、日本語は片言程度であった。

(4) 欣伯一家は、昭和九年(一九三四年)ころ、渡辺昭伯爵から、その所有にかかる芝区高輪南町七番地所在の邸宅の一部を賃借して居住するようになり、昭和一二年(一九三七年)ころ、世田谷区成城町一六八番地に転居した。

(5) 趙碧は、前記のとおり昭和一〇年六月二八日、鈴木泰一及び冨永佳一から本件土地を買い受けたが、その際の住所地は、芝区高輪南町七番地であった。

(6) 宗陽は、昭和一〇年一一月から同一二年四月まで芝区立赤羽尋常小学校の第四、五学年に在学したが、転居に伴い、同年四月ころ、神奈川県所在の私立大和学園高等女学校付属小学校に転入し、翌一三年三月、同校を卒業した。宗陽は、左眼が悪く、失明しており、大和学園小学校々長の証明書によると、その生年月日は、大正一四年六月二六日とされている。

(7) 欣伯は、昭和一三年(一九三八年)、妻子とともに中国に帰り、北京市安門外銅鉄廠胡同六号に居住し、「懐恩盧」と号していた。

(8) 欣伯及び趙碧は、昭和一八年(一九四三年)九月ころ、財産整理の目的で来日し、砧信用組合長の鈴木弥之助に対し、世田谷区成城町一六八番地所在の自宅及び本件土地のほか、国領、飛田給、国立、箱根千石原所在の土地の管理を委託するとともに、右自宅に地下室を掘って貴重品を収蔵し、同年一一月帰国した。その後欣伯は、昭和二〇年(一九四五年)四月ころまで、右鈴木と右土地の管理等について信書で連絡をとっていた。

(9) 欣伯は、昭和一九年(一九四四年)ころ、北京市銅鉄廠の居宅を接収され、同市小石橋後門一号に転居した。またそのころ宗陽は、北京市の輔仁大学に在学していた。

(10) 欣伯は、昭和二一年(一九四六年)四月ころ、国民党政府官憲により、漢奸の件で身柄を拘束され、血管硬化症の病状悪化により、昭和二三年(一九四八年)一二月、釈放された。

(11) 中華人民共和国成立後の一九四九年一二月三日になされた戸口調査によると、欣伯の家族は、戸主・欣伯(一八九〇年一一月二〇日生)、妻・碧(一九〇〇年九月一〇日生)、子・宗陽(別号・重光、一九二五年五月五日生)及び宗陽の妻らであって、欣伯、碧の子としては、宗陽以外の記載はない。

(12) その後欣伯は、中華人民共和国官憲により連行されて死亡し、趙家の墓地に埋葬されたが、昭和二八年(一九五三年)五月、宗陽によって、北京市北郊の人民公墓に改葬された。

(13) 亡欣伯、趙碧及び宗陽(別名趙重光)は、逆賊財産事件の審理を受け、昭和三一年(一九五六年)四月二七日、北京市中級人民法院から、欣伯の財産をすべて没収する、宗陽に教育を施し釈放する、趙碧に訓戒を与える、等の刑事判決を言渡された。

(二)  次に、帰来した原告について判明したところと対比して、原告が趙碧と同一人かどうかを検討するに、《証拠省略》によると、次のとおり認められる。

(1) 原告が、昭和五一年六月一七日から同年八月九日にかけて行われた別件審判事件の審問において述べたところは、《証拠省略》によると、要旨次のとおりである。すなわち、①原告は、一九〇〇年一〇月二六日生れ(旧暦では九月四日)で、生れたときの姓は耿、名は碧、二一歳のとき、一〇歳年上の趙欣伯と結婚し、趙碧と名乗るようになったこと、②一九二五年六月二六日に宗陽が生れたが、宗陽は、三歳のころ脳膜炎を患い、左眼を失明し、子供は宗陽ひとりだけで、養子も居ないこと、③夫欣伯は、明治大学で法律を学び、旧満州国の奉天市長になったが、一九三三年(昭和八年)旧満州国憲法調査団の団長として来日し、その際原告も宗陽を連れて同行したこと、④当初、高輪にある貴族の屋敷を借りて住んでいたが、調査団の任務終了後、成城に屋敷を買って転居したこと、⑤そのころ、欣伯は、懐恩盧と号し、そのような表札を掲げ、懐恩盧の名前が印刷された封筒を使っており、また、そのころ板垣征四郎(元陸軍大将)夫妻と交際があり、今回来日したのを機会に同夫人に会い、そのころの昔話をしたこと、⑥趙一家は、一九三八年(昭和一三年)帰国し、北京市の銅鉄廠六号に家を借りて住むようになり、その後一九四三年(昭和一八年)ころ、欣伯と一緒に来日し、半年位滞在して帰国したが、その際、欣伯は、成城の家の土地に穴を掘って貴重品を埋め、帰国後は、土地建物の管理を委託した鈴木という人と手紙のやり取りをしていたこと、⑦国民党政府になってから、銅鉄廠六号の家は、家主から返還を求められ、北京市の小石橋に転居したこと、⑧欣伯は、国民党政府官憲に逮捕され、二年ほど監獄にいて釈放されたこと、⑨欣伯が革命後の中華人民共和国政府官憲から取り調べを受けたり、身柄を拘束されたことはなく、一九五一年七月二一日小石橋の自宅で死亡し、趙家の墓に葬ったが、後に共同墓地に改葬したこと、以上のとおりである。

このように、原告の供述は、前記(一)で認定した客観的事実と大筋において合致しており(なお、⑨の点は、後日、《証拠省略》を提出し、当時の中国の社会情勢から真実を述べることができなかったとして、「欣伯は、一九五一年七月ころ公安派出所に連行され、翌日死亡したとの通知を受けた」旨訂正している。)、境遇や経歴、高輪及び成城の住居や埋蔵したとする貴金属についての原告の陳述内容は、詳細かつ具体的であって、ことさら不自然な点も見当たらない。

(2) 昭和一〇年ころの趙碧は、前記のとおり、やせ型で中国服の似合う美人であり、甲第二二号証の一三の①及び同号証の一九の②の写真に写っている女性が、そのころの趙碧である。他方、甲第二二号証の一三の②は、一九七三ないし七四年(昭和四八、九年)ころ、甲第二二号証の二一の①及び同号証の二二は、原告が別件審判事件の審問のため来日した一九七六年(昭和五一年)に、また甲第二二号証の三〇は一九七九年(昭和五四年)に、それぞれ撮影されたものであり、これらの写真を対比すると、年月に相当の隔たりがあるため即断はできないものの、目鼻立ちにおいて似ていないとはいえない。

昭和一〇年ころ千石原地所株式会社に勤務し、本件土地売買の際、趙欣伯、碧夫婦と面談したことのある辻内富士雄は、甲第二二号証の一三の①の左に写っている男性は趙欣伯に間違いなく、同号証の一九の②の左に写っている女性は趙碧に似ているように思う、審判廷に在廷している原告は自分の知っている趙碧に似ている、と述べている。また、東京家庭裁判所書記官の報告書によると、板垣征四郎夫人は、昭和五一年に訪れた趙碧と名乗る女性は、昭和一〇年ころ交際のあった趙欣伯夫人の趙碧に間違いない、と述べたという。

(3) 別件審判事件には、趙碧の子であると称する趙宗陽が証人として供述したが、その要旨は、①生年月日は一九二五年(大正一四年)六月二六日(旧暦でいうと五月五日)で、重光と号し、父は趙欣伯、母は碧(今回来日した原告)であること、②八歳のころ父母に連れられて来日し、高輪の家に住み、そこから赤羽尋常小学校の四、五年次に通学したが、一二歳のころ父母に連れられて成城に転居し、大和学園に一年程通学したこと、③一九三八年の暑いころ帰国し、北京市の銅鉄廠に住むようになり、その家には父の号である懐恩盧という表札が掛かっていたこと、④大学は北京市の輔仁大学に入ったが、そこに大和学園当時に教わった市川一郎先生が来ていたこと、⑤一九四四年ころ北京市の小石橋に転居したこと、⑥一九四五年八月ころ、国民党政府の兵隊・警官が小石橋の家に来て、父欣伯が漢奸の件で逮捕され、監獄に入れられたが、一九四八年暮れころ釈放されたこと、⑦父は、一九五一年七月革命後の人民政府の命令で収監され、翌七月二〇日死亡し、当初趙家の墓に葬ったが、後に共同墓地に改葬したこと、等である。この供述は、前記(一)で認定した客観的事実と大筋において合致しており、高輪や成城の住いの状況、通った学校や先生・友達のことなど、その供述内容は、詳細かつ具体的であって、ことさら不自然な点は見当らない。ことに、赤羽尋常小学校で同級生だったという湯川正三、大和学園高等女学校に通っていたという大谷美代子、大和学園の教師で、後に北京市の輔仁大学で日本文学の教授をしたことのある市川一郎らが別件審判事件で証人として述べたところと対比すると、古い記憶の重なり合う部分が多々存在しており、審判廷で対面した証人趙宗陽について、湯川正三は、「似ている感じはする」と述べ、大谷美代子は、「当時の宗陽の特長は細面で左の眼が悪いことで、本人に間違いない」と述べ、市川一郎も「当時の宗陽に間違いない」と述べている。

(4) 中華人民共和国北京市公証処の公証員李世昌が一九七六年(昭和五一年)一一月二三日付けで作成した原告の戸籍証明書には、世帯主趙碧(一九〇〇年一〇月二六日生)、長男趙宗陽(別名・趙重光、一九二五年六月二六日生)、その他宗陽の妻子らが記載され、世帯主趙碧の子としては、趙宗陽以外の記載はない。

以上(1)ないし(4)の事実を総合するならば、特段の反証のない限り、原告が趙碧と同一人であると認めるのが相当である。《証拠省略》によると、昭和一〇年ころ以降何回か成城の趙家で手伝いをしたことがあり、当時の趙碧と面識のある福島初子が、原告について、記憶にある趙碧とは違うと述べたことが認められるが、《証拠省略》によれば、同人も家庭裁判所の調査官には、趙碧に似ていると述べているというのであり、右認定を履すに足りない。

(三)  参加人松本は、趙碧は昭和三五年(一九六〇年)二月五日死亡し、養子の趙國章(香港)が相続したと主張するので検討する(なお、一部の被告ら、承継参加人及び引受参加人らは、趙碧が死亡したとの事実を認めているが、原告との関係において三面訴訟となり、必要的共同訴訟の関係に立つので、自白は成立しない。)。

(1) 参加人松本の本人尋問によると、同人は、要旨、①昭和一四年から昭和二一年ころまでの間、旧満州国の奉天市常盤町に居住していたことがあり、その際に趙欣伯、碧夫婦の住居があり、当時五、六歳の男の子がいた記憶がある(ただし名前は知らない。)、②昭和四四年六月ころ、林安則及び辻谷勝三なる者から、本件土地を買わないかとの話が持ち込まれ、一月位後に、中華人民共和国北京市公安局発行の、趙碧が一九六〇年二月五日死亡したとの証明書(丙第二号証)を渡された、③同年九月ころ、香港に行って、趙碧の養子で唯一の相続人であると称する趙國章と会い、その旨の中華人民共和国吉林省外事処発行の証明書(丙第三号証)を渡された、と述べており、また、証人中野峯夫は、弁護士として、昭和四五年一〇月ころ、参加人松本から本件土地の取引につき相談を受け、そのころ、同人が連れてきた趙國章と称する青年から「自分は趙碧の養子として育てられたが、母は広州の病院で死んだ。自分が唯一の相続人である。」との説明を受け、医師及び市当局の証明書(丙第一、二号証)を見せられた、と証言している。

(2) しかしながら、これらの丙号各証は、その成立の真正を認めるに十分でない。そればかりか、記載内容から見ても、「廣州市居民死亡証」と題する丙第一号証(《証拠省略》は同趣旨のものと考えられる。)は、死亡したとされる趙碧の生年月日が一八九〇年七月四日、住所が広州市大南路仙湖テ七二号とされていて、前記(一)で認定した本件の趙碧とは符合せず、また《証拠省略》の記載と対比すると、はたして本件の趙碧にかかる証明文書なのか疑わしく、また、丙第二、三号証は、医院の死亡記録等の文書に基づいて趙碧が一九六〇年二月五日病死した旨の証明であることがその記載自体から明らかであるところ、根拠となっている文書について同様の疑問がある。

したがって、これらの丙号各証の信憑性には疑問があり、そうすると、趙碧が死亡したとの事実につき、これらの丙号各証を拠り所とする参加人松本及び証人中野峯夫の各供述も採用できない。

(四)  被告田中、被告國分榮勝、承継参加人国分建設、被告成、被告光産業、被告新起産業、被告朴の引受人鄭、被告小田及び被告平山らは、趙碧が昭和三五年(一九六〇年)二月五日死亡し、趙國章(台湾)が相続したと主張するので検討する。

(1) 証人宮永等の証言によれば、同人は東南アジア方面で貿易業を営むものであるが、①昭和四三年ころ、趙碧の養子で唯一の相続人趙國章なる者から一切を委任されていると称する邱乾臺と知り合い、マカオ市長発行にかかりポルトガル領事の署名のある趙國章の身分に関する証明書(乙ロ第一九号証)を示され、昭和四四年一月三一日邱乾臺との間で本件土地につき賃貸借契約を締結した、②ところがその後、在日ポルトガル領事館から、本国に問い合わせたところ該当者がいないことが判明したので証明書を返還されたい旨の要請があった、③そこで邱乾臺に対し、趙國章と会わせるように再三にわたり求めていたが実現せず、約一年後にバンコクにおいて、趙碧の実子であるという台湾の趙國章に会うことができ、同人が趙欣伯、趙碧の実子であるとの証明書類(乙ロ第三、四号証の各一ないし三)を示された、④同人は、先の邱乾臺が紹介した趙國章とは別人であり、同人からは、母趙碧とは戦後満州で別れたきりであるという程度の説明しか得られなかった、というのである。

(2) このように、証人宮永等の証言にあらわれる趙國章と趙碧の関係は極めて曖昧であるといわざるを得ず、同証言によって趙碧が死亡したとの事実を認めることは到底できないし、乙ロ第一九号証(丙第四号証も同趣旨のものと考えられる。)の信憑性には疑問がある。また、乙ロ第三、四号証の各一ないし三の記載内容は、単に、趙國章の風貌が趙欣伯に似ており同人の子息に間違いないとの趣旨であるにすぎず、採用できない。

(3) なお、中華民國内政部発行の民國六一年四月二六日付けの証明書が存在し、その中で趙碧は民國四八年二月五日死亡した旨記載されており、《証拠省略》によれば、右証明書は真正に成立したものと認められる。しかしながら、《証拠省略》によると、右証明書は趙國章(台湾)の申請書類に基づいて発行されたことが窺えるところ、民國元年が中華民國が成立した一九一二年に当たることは公知の事実であって、したがって右証明書の作成年は一九七二年であるが、中華民國(台湾)がその当時中国本土を支配していないことは公知の事実であり、その内政部がいかにしてこのような証明をなし得るのか、疑問がある。また、右証明書に記載されている趙碧の死亡日は、民國四八年(すなわち一九五九年)二月五日であって、前記のとおり広州市で死亡したとされる趙碧の死亡日とは一年のずれがあり、いかなる資料に基づいて趙碧が民國四八年二月五日に死亡したものとされたのかも不明である。したがって、右証明書の記載はたやすく採用できない。

(五)  以上のとおりであって、他に、趙碧が昭和三五年(一九六〇年)二月五日死亡し、趙國章(香港にせよ台湾にせよ)が相続したとの事実を認めるに足りる証拠はない。

3  以上検討したところによれば、原告は本件土地を取得した趙碧と同一人物であると認めるのが相当であり、そうすると、本件土地の所有権は原告に帰属しているものというべきである。

他方、趙碧が死亡したとの事実を前提とし、その相続人から本件土地の所有権を取得したとする参加人松本の請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

四  被告ら、引受人ら及び承継参加人が別紙物件目録(二)記載のないしの符号に対応する本件各建物を所有して、本件土地の各建物の敷地部分を占有しているとの事実(請求原因2)は、当事者間に争いがない(ただし、前記のとおり、引受人佐藤勝は、右事実を自白したものとみなすべく、引受人成秀子については、《証拠省略》によって認められる。)。

五  そこで進んで、被告ら、引受人ら及び承継参加人の抗弁について判断する。

1  被告田中の抗弁(一)、被告國分榮勝及び承継人国分建設の各抗弁、被告神長土木の抗弁(一)、被告成及び同五伝木の各抗弁、被告光産業及び同新起産業の各抗弁(二)、被告篠田、引受人産興、被告三陽商事及び同小西の各抗弁、引受人鄭の抗弁(一)、被告(兼引受人)小田の各抗弁(二)並びに被告平山の抗弁について

(一)  右の各抗弁は、いずれも趙碧が昭和三五年(一九六〇年)二月五日死亡し、趙國章(香港または台湾)が本件土地を相続したとの事実を前提とし、趙國章(香港または台湾)に権限を委ねられた者または再委任を受けた者から設定された賃借権またはその転借権が存在するというのである。

(二)  しかしながら、趙碧が死亡し、趙國章(香洲にしろ台湾にしろ)が本件土地を相続したとの事実が認められないことは、前記三で示したとおりである。してみると、右の各抗弁は、その余の点を判断するまでもなく、理由がない。

2  被告光産業及び同新起産業の各抗弁(一)並びに被告(兼引受人)小田の抗弁(一)について

(一)  右の各抗弁は、趙碧は昭和二〇年以前に鈴木弥之助に対し本件土地の管理を委任していたところ、同人が石崎聖に本件土地の一部を賃貸したとし、西北産業及び被告新起産業(旧商号・西北建設)が昭和四八年二月二四日石崎聖から一部ずつの譲渡を受けた賃借権を占有権原とするものである。

(二)  そこで検討するに、前記三2(一)の事実と《証拠省略》によれば、趙碧は、趙欣伯とともに昭和一八年九月ころ来日し、本件土地を含むその財産の管理を鈴木弥之助に委任し、同年一一月ころ帰国したことが認められ、他方、《証拠省略》によると、西北産業は、昭和四七年一一月二六日、本件土地の不在者財産管理人の鈴木弥之助からこれを賃借していると称して来た石崎聖から、本件土地のうち一七七坪を、被告新起産業(当時の商号・西北建設)も同日石崎聖から本件土地のうち二七七坪を、それぞれ賃借したこと、石崎聖は、その後昭和四八年二月二四日、鈴木弥之助が西北産業及び西北建設に右土地を直接賃貸する旨の賃貸借契約書(乙ニ第二、三号証)を持参し、これを両会社の実質的経営者であった小田愃務に交付したことが認められる。

しかしながら、鈴木弥之助が石崎聖に対し本件土地を賃貸したとの事実を認めるに足りる証拠はないし、乙ニ第二、三号証中の賃貸人鈴木弥之助作成部分については、これに立ち会ったとされる証人冨永泰一の証言及び賃借人側で実際上の交渉をした被告光産業代表者小田愃務本人尋問の結果(第一、二回)によっても、その成立の真正を肯定できない。のみならず、《証拠省略》によれば、鈴木弥之助は、昭和四七年ころから脳軟化症になり、昭和四八年二月ころには入院し、同年五月二五日に死亡したものであって、その約三か月前の同年二月二四日ころ、右のような契約書に署名捺印できる状態であったかどうか甚だ疑わしいこと、本件土地には同人が死亡する以前から、暴力団風のものが勝手に立ち入って占有使用するような状況となっており、鈴木弥之助は、石崎聖に土地の管理を任せた事実もないのに、同人が「不在者財産管理人事務所」なる看板を勝手に掲げているとし、同人に対し、看板の撤去を求めたこともあったこと、等の事実が認められ、乙ニ第二、三号証の鈴木弥之助作成部分の成立の真正は極めて疑わしい。

してみると、その余の点を判断するまでもなく、右の抗弁は理由がない。

3  被告星野の抗弁について

(一)  被右星野は、鈴木弥之助から本件土地の管理権限を与えられた石崎聖から、昭和四八年八月二二日本件土地の一部を賃借した、と主張する。

(二)  しかしながら、石崎聖が鈴木弥之助から本件土地の管理権限を与えられていたと認めるに足りる証拠はないから、右抗弁は理由がない。

4  引受人杉浦らの抗弁について

引受人杉浦らは、昭和五四年七月二〇日平山某から本件建物とその敷地の賃借権の譲渡を受けたと主張するのであるが、平山某の権限について何らの主張立証がない。また、右建物のもとの所有者である亡高橋次郎の占有権原についても、これを認めるに足りる証拠はない。

5  被告神長土木の抗弁(二)について

(一)  右の抗弁は、被告神長土木は昭和四六年八月一〇日浅野茂夫から本件土地のうち約九九〇平方メートルの賃借権の譲渡を受け、鈴木弥之助がこれを追認した、というのである。

(二)  そこで検討するに、被告神長土木代表者毛塚誠治本人の供述によると、同人は、昭和四六年八月一〇日ころ本件土地の一切の管理権を有していると称する浅野茂夫から本件土地のうち約九九〇平方メートルの賃借権を代金二一〇〇万円で買い受ける旨の契約を締結したが、それから三年位たった昭和四九年夏ころ、鈴木弥之助が真の管理人は自分だと称してきたので、同人に金一〇〇万円支払って了解してもらった、というのである。しかしながら、鈴木弥之助が昭和四七年ころから脳軟化症になり、昭和四八年二月ころには入院し、同年五月二五日に死亡したことは右に認定したとおりであって、昭和四九年夏ころ鈴木弥之助が真の管理人は自分だと称してきたということはあり得ないことであるし、同人に金一〇〇万円を支払ったとの事実についてはこれを裏付ける証拠が全くない。

そうすると、右の供述は採用できず、他に追認を肯定するに足りる証拠はないので、右抗弁は理由がない。

6  引受人鄭の抗弁(二)について

(一)  引受人鄭の主張は、要するに、宮永等が昭和四四年一月三一日本件土地のうち本件建物及びの敷地部分を、賃借する意思をもって、善意で占有を開始し、賃借意思の占有承継者鄭三道が、一〇年後の昭和五四年一月三一日当時も右土地を占有しているのであるから、賃借権を時効取得した、というのである。

(二)  しかしながら、仮に、宮永が昭和四四年に善意で占有を開始しているとしても、訴訟引受(昭和六一年六月二七日引受決定、同年八月一一日決定正本送達)前の被告朴龍治に対する本件訴状が、昭和五〇年一一月二七日に受理され、同年一二月一一日に同被告に送達されたことは、本件訴訟記録上明かである。

ところで、訴訟引受は、前主の訴訟上の地位を承継する制度であって、訴訟引受人は前主と同一の訴訟状態に置かれるのであるから、時効中断も訴訟係属の当初に遡って生ずるものと解される(民事訴訟法第七三条、第七四条)。そうすると、引受人鄭が主張する時効の起算日から一〇年の時効期間が満了する以前に、本件訴訟提起によって、引受人鄭に対しても、時効は中断していることになる。

してみると、原告の時効中断の再抗弁には理由があるので、引受人鄭の右抗弁は、その余について判断するまでもなく、認められない。

7  被告田中の抗弁(二)について

(一)  被告田中の右抗弁は、原告の本訴請求が権利濫用であるというにある。そこで考えるに、《証拠省略》によれば、被告田中は、昭和四五年六月二〇日、宮永等の説明に基づき、同人との間で本件土地のうち約三三〇平方メートルについて、期間二八年間の借地権を取得する契約を締結したこと、被告田中は、当時右土地を耕作していた栗山光生らの耕作者に対し、離作料として金二三〇万円を越える金員を支払ったこと、被告田中は、同年七月一日付けで、建築確認を取得したうえ、本件建物を建築し、以後、平穏に居住してきていること、が認められる。

(二)  しかしながら、他方、前記三で認定したとおり、原告は、鈴木弥之助に本件土地の管理を季任して中国に帰国したのであるが、同人との間で連絡が取れなくなったのは、大戦後に中国で起きた革命、原告に対する刑事制裁及び中国と日本の間で自由な往来が永らく途絶していたことなど、いわば原告の責に帰すべからざる事由によるところが大きいものと考えられ、また宮永等に権限があることについての同人の説明が極めてあやふやであるのは、前に見たとおりである。

(三)  そうすると、原告が、長年にわたり本件土地の管理を放置したということには当たらず、原告の所有権に基づく請求を権利濫用として排斥するには足りないものというべきであって、被告田中の右抗弁は理由がない。

六  結論

以上のとおりであるから、原告の本訴事件については、被告高橋元玄、同朴及び同大慶物産に対する訴え並びに被告平山に対する訴えのうち本件建物を収去して、本件土地中、各建物の敷地部分の明渡しを求める訴えは不適法として却下し、その余の被告ら(脱退したものを除く。)、承継参加人及び引受参加人らに対する請求は、いずれも理由があるから認容し、参加人松本の参加第一事件については、右と同様、被告高橋元玄、同朴及び同大慶物産に対する訴え並びに被告平山に対する訴えのうち本件建物を収去して、本件土地中、各建物の敷地部分の明渡しを求める訴えは不適法として却下し、その余の請求は失当として棄却し、また、参加人趙國忠の参加第二事件の参加申立ては不適法として却下することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九二条ないし第九四条、第九九条の各規定を適用し、仮執行の宣言は相当でないから付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 原健三郎 裁判官 舛谷保志 裁判官長野益三は、転補につき署名捺印できない。裁判長裁判官 原健三郎)

〈以下省略〉

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